四旬節「涙の谷で恵みを見つける」

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 「♪谷川の水を求めて、喘ぎ彷徨う鹿のように、わたしは、あなたを慕う」(詩編42)。この鹿は私たちのことです。恵みを求めて川の水を探し求めます。探しなさい。見つけます。求めなさい。与えられます。叩きなさい。開かれます。しかし、求めなければ、探さなければ、叩かなければ、恵みに出会えません。神は、もう恵みを準備されています。鹿のように探すだけです。どこを探せばいいのでしょうか?多くの人が、間違った場所を探しているかもしれません。雨は天から降って、山を下り、低きに流れます。谷底です。そこに恵みの川が流れ、恵みの泉が生まれるのです。

 教会の伝統の祈り、サルヴェ・レジナは歌います。「♪嘆きながら、泣きながら、涙の谷で、あなたを慕う」。人生を「涙の谷」にたとえています。苦労や悲しみがあるのです。この人生という涙の谷に、イエスの恵みが注がれました。光であるイエスが闇の世界に来られました。真理であるイエスが罪の社会に来られました。影が覆う私の心に来られました。この谷底こそが、イエスがおられる場所です。谷底こそが、恵みと出会う場所です。山の上ではありません。

 イエスを探しに行きましょう。どこにいますか?宮殿ですか?そこにいません。お花畑ですか?そこにもいません。十字架という苦しみの中にいます。馬小屋という清貧と離脱の内にいます。人生の谷底にいるのです。人生の苦しみや悲しみに寄り添っているのです。病気の人、貧しい人、虐げられている人と一緒にいます。娼婦、税吏、異邦人と共にいます。イエス自身がこの谷に降りて私たちに寄り添うことで、私たちを上へ引き上げて下さるのです。

 人生の現実の中にこそ、イエスを探さなければなりません。そこから逃げては、神から逃げることになります。恵みから離れることになります。神は私たちが望む前から、恵みで導いておられます。願う前から恵みを下さいます。しかし、イエス自身が最大で最高の恵みであり、それこそが救いの恵みです。これは求めなければ与えられません。それは神がケチなのではなく、「求めること」が愛の始まりだからです。救いは、神の愛に人間の愛で応えることだからです。イエスは、もう私たちの側に来ています。見ています。聞いています。へりくだった心になれば、イエスを見つけるでしょう。しかし「自分は立派になった」と考える人は、イエスを見失います。「神は、自らたかぶる人を引き下ろし、へりくだる人を高めて下さる方」なのです。■(文責:小寺神父)
*2021/03/09四旬節の黙想会説教より

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