神の手に導かれて-司祭叙階銀祝に寄せて-

「司祭になりたい」と思ったことは一度もありませんでした。意外に思われるかもしれませんが、本当です。なぜなら大学生の時にオプス・デイと出会い、「社会人としての務めを果たしながら福音を広げ、社会を聖化する道」を発見して、洗礼を受けたからです。それは神戸大教育学部を卒業して、長崎で始まったばかりのカトリックの学校に教師として勤め始めたころでした。洗礼から半年後、独身信徒の召し出しを受け、オプス・デイに所属しました。情熱を燃やして教育に取り組み、あっという間に10年が過ぎました。生徒や保護者の中から洗礼を受ける人も出て来て、仕事にやりがいを感じていました。
そんなころ、「司祭にならないか」という話が、わたしに来ました。オプス・デイは信徒と司祭からなる属人区(地域ではなく、所属する人による教区)ですから、司祭が必要です。特に日本人司祭が必要でした。事情はすぐ理解できました。神がお望みなら、いつでも司祭になる覚悟はありましたから、即座に返事をしました。でも、それは保留されて、よく考えて数日後に正式に返事をするように言われ、その通りにしました。
その三か月後には、もうローマに居ました。秋からナヴォーナ広場の一角にある教皇庁立聖十字架大学で神学を始めました。4年が過ぎ、全課程が終わるころ、指導司祭から呼ばれ質問されました。「司祭になりたいですか?」わたしは「パドレ(司教にあたる裁治権者)がお望みなら」と答えました。すると再度「あなた自身の考えを聞かせてください」と尋ねられ「どちらでも、いいです」と答えました。司祭職を軽んじたのではなく、司祭でも教師でも同じように神の仕事ができると確信していたからです。「それでは困る。叙階の条件は三つ。神、司教、本人。三つの『はい』が揃わないとできない」と言われ、初めて『はい』と答えました。そして、1996年6月9日(土)にローマ郊外エウルEUR地区に新しくできたばかりの聖ホセマリア教会で叙階を受けたのです。
私の親兄弟は仏教徒ですから、親族は誰も式に参加しませんでしたが、寂しくはありませんでした。それどころか、参列している全員が親族や本当の家族のように見えました。みなが兄弟に思えたのです。「私の父、母、兄弟とは誰か?天の父のみ旨を果たす人である」というイエスの言葉を実感できました。また、「神の霊に導かれている人は、みな神の子なのです」というパウロの言葉も本当でした。こうして、新たな人生、司祭生活がスタートしました。その後、スペインのバヤドリッドでの司牧実習を終えて、論文審査を経て、翌年の春に日本に帰ってきました。そこにも神の不思議な力が働いていました。■(つづく)
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