復活したイエスに出会う秘訣

復活したイエスの姿は生前と何かが違っていました。出会って、会話を交わしても、気付きませんでした。マグダラのマリアはイエスを墓地の管理人と勘違いしました。エマオの弟子はイエスを旅人だと思い込みました。まさしく見ても見えない、聞いても分からない状態だったのです。ところが、ある瞬間に「主だ」と分かるのです。いったい何がきっかけになったのでしょうか?それこそが、復活した主と出会う秘訣でもあります。
マグダラのマリアの場合は、「マリア!」と親しく名前を呼びかけられた時でした。悲しみで心が塞がれていましたが、幸せだった昔が蘇り、閉じていた心が溶けて開いたのです。エマオの弟子は、イエスと語り合う内に冷たかった心が熱くなり、過ぎ去るイエスを引き止めて、食事を共にして、イエスがパンを割いた時、心が開いて復活した主を認識できました。いずれも心の在り方が変わったことが出会うきっかけになっています。冷たい心、石の心が蝋ろうのように溶けて熱い心、人間らしい心、打ち解けた心になったのです。
復活したイエスが聖なる婦人たちにご出現された時、最初にかけた言葉は「おはよう(シャローム)」でした。本来の意味は「平和」です。あなたに平和があるようにという意味で朝、昼、晩の挨拶になりました。使徒たちにご出現された時も「あなたたちに平和があるように」でした。このイエスが与える平和こそが出会う秘訣です。イエスは復活して、もうあなたの側にいて、話しているのです。でも、心が悲しみに塞がれ、仕事の忙しさで冷たくなり、人間関係の煩わしさから閉じていると、主が分からないのです。心を天に上げ、心を開くように努めることです。そうすると、まず落ち着きが訪れ、主と出会い、心に平和と喜びが注がれます。また、心を自分中心から周囲の人に向け、棘のある心から、打ち解けた心になるように努めます。すると復活した主イエスを身近に感じます。イエスとも打ち解けた関係になるからです。
復活第二主日は「いつくしみの主日」です。ヨハネは、私たちが神の命を受けるために福音(=主は復活した)を書いたと説明しています。神の命とは、神の愛、神のいつくしみのことです。私たちが神のいつくしみを受けるために、主イエスは復活されたのです。自分中心の心は、それを受けられません。隣人を思う心に神の愛が注がれます。復活したイエスに出会うために、喜びと真心を込めて仕える戦いをしましょう。あなたの助けを必要としている人の中で、復活したイエスと出会うでしょう。■2023/04/16 ミサ説教(文責:小寺神父)
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