インフォメーションから『福音』へ

00827143N000000000/161933473649968878931.jpg

「福音」とは「主は復活された、アレルヤ」であると説明しましたが、厳密に言えば「主は復活した」という現実そのもの、出来事そのものが福音です。主の復活を最初に見たマグダラのマリアは、「主は復活した」という出来事を「見た」と証言したのです。単に情報を知らせたのではありません。喜びの体験を伝えたのです。ところが、それを聞いたペトロたちは情報を受け取りましたが、彼女の体験を否定しました。福音が伝わらなかったのです。エマオの二人の弟子にも同じことが起こりました。彼らは「婦人たちが主は復活したと戯言(たわごと)を言うのを聞いた」と言いながら、一方で絶望してエルサレムを離れるのです。情報を聞いたけれど、福音が届きませんでした。聖なる婦人たちの体験を否定したからです。

このように、福音を伝えるとは単なるインフォメーションではありません。復活した主に出会ったという喜びの体験を共有し、共感することで初めて伝わるのが福音です。冷たい心で情報を聞いても、それは福音になりません。伝える人の喜びと平和に触れて心が開き、伝える人と個人的な関係が築かれ、それに共感し、共有したいと思う時、福音に変わるのです。聖ホセマリアは、これを「友情と親しい語り合いの使徒職」と呼んでいました。福音宣教とは、イエスの教えたことを繰り返して「教える」ことではなく、主イエスは復活したという「喜びの体験を伝える」ことです。だから自分自身が主イエスと出会っていなければ、人に伝えることは出来ません。

喜びの体験を伝えるために、どうすればいいでしょうか?現代人は権威に対して否定的、反抗的な態度を示します。言葉を信じないのです。言葉より行いを信じます。日常生活で、身近な家族や友人に対して親切、寛大、慈しみ、楽観的な態度、微笑み、ゆるすこと、困難や苦しみに対して文句を言わず肯定的な態度で取り組む、このような生き方を目指しているなら、周囲の人は必ず気付きます。これらは確かに実践が難しいのですが、できるように戦うことは誰でも出来ます。職場でも同じような態度を取るように心がければいいのです。

自分の力だけに頼れば挫折するでしょう。しかし、キリスト者は復活したイエスを信じています。私の弱さ、惨めさを助けるために復活して、私の側にいるのですから、助けをお願いします。すると出来るように神の力で変えられます。これが聖性の戦いの現実です。これが周囲の人を動かすでしょう。情報が福音に変わるからです。■2023/04/23 復活第三主日説教より(小寺神父)

この記事へのコメント